揺籃

生きてることをつなぐため

2015/05/25 ~ 2015/05/28

25日
恐ろしいほど眠れない、そういえばスクーリングのときにもこういう風に眠れなくて睡眠導入剤を飲んでいたなと思い出す、前日の睡眠時間が短かったのですぐに眠れるだろうと軽く考えていたが自分が思うよりも眠れない、夜の8時くらいには目をつむっていたのにほぼ一睡もできない、結局夜中の2時くらいに睡眠を諦めて延々と考えこむ
ドストエフスキーの癲癇がなんとなくわかる、病や不眠に見舞われると創造せざるをえなくなる、書かずにはいられなくなる
看護師のお姉さんが消灯前辺りに声をかけてくれて、こういうのホントに良いなって思った
性欲も相変わらずあって次々と色んな女の子のことを考える
とにかく女の子とセックスすることを目標に生きようと思った、お金を払うことも厭わないし、たくさんの女の子とセックスしたいと思った
少しでも良いと思った女の子には交渉する、ガソリンスタンドの子もそう、学校の同級生もそう
そのためにはしなければならないことが無数にあるし、帰ったらひとつひとつこなしていこうと思った

私より若い患者をまだ見ていない、まだまだだと思った
タバコも吸わないしお酒も飲まない、すっごい健康で、自由に動き回れるってホントに良いなと思う

26日
手術は昼すぎからで、午前中はひとりのときはほぼアダルトサイトを閲覧する、三上悠亜で射精するために頑張ろうと思った
カラマーゾフの兄弟」もけっこう読み進めた
不安だった浣腸もなかった、
術前ぎりぎりでまるでジェットコースターを登るときのような不安に駆られるが、過ぎれば回復に向かっていくだろうしけっこう楽観していた
手術室へ向かう道のりは業務用(業務用スーパー?)のでっかい倉庫、冷凍室みたいな物静かな雰囲気で、生き物の気配がなかった
手術室の台は温かかった、温かいタオルを足にかけてくれてまるで床屋でひげを剃ってもらうときのようなかんじ、なにかのテレビで見たように手術室の壁は緑色だった
硬膜外麻酔の注射は胎児のような格好になって背中にぶすりとやる、そのとき眼鏡のオッチャンが足のあたりを押さえていてくれてホッとした
母がいうには涙が出るほど痛いそうだったがそれほどの痛みはなかった、たまらず指先をこすり合わせるくらいの痛み
痛みの瞬時、思わずだれかの名前を浮かべたくなるが他にいないので消去法的に「母さん」と名前を浮かべて、その後すぐに私には母親しかいないのかと冷める
全身麻酔の前に酸素のマスクをつけられて、ああこれは絶対嘘だ、そうやってわざと安心させて全身麻酔をかけるんだと疑ったが、(ネットで調べたさいにヒットしたので)それは本当で、少し経ってから「今から麻酔かけますよ」という声とともに煙が出てくる、一瞬で記憶がなくなった、
目覚めると視界にお医者さんの姿がうつって、そのままベッドごと運ばれる、
苦しさよりも先に目のふちについた涙に気が付く、手術が終わったんだと思った
記憶が曖昧ではあるが、会話したり頷いたり周りの状況を見られるほどの意識があった
エレベーターの辺りで母親と姉の姿が見える、
エレベーターのなかで担当の先生に気分はどうかと聞かれ、「鼻づまりと尿意がある」と答える、すると「すぐに楽になるよ」みたいなことを言われる
全身麻酔が効いているうちに導尿カテーテルを抜いてほしいという願いが許可されたんだとしばらくして気がつき(前日に麻酔科の先生にお願いしていた)、この尿意は導尿カテーテルを引っこ抜いたことによる感覚だとわかる

回復室のベッドのうえで喉が痛むことに気がつく、母親と姉に見守られるなか、出てくる唾液を何度も飲み込む
猫の死に際のような気分で、苦しんでいるところを家族に見られたくないという意識が働く、あっちへ行ってくれと思っていたら母親が「そっとしておいたほうがいいんじゃない」などと言って母親と姉はどこかへ行ってしまう(後で姉から聞いた話によると、母親は術後の気分を分かっていたらしかった)
それから鼻づまりと喉の痛みと戦う、しばらく経つと右脇に管が刺さっていることに気がつく、
身体の痛みは麻酔で抑えられているから、それよりも鼻づまりが深刻に思えた
全身麻酔から覚めた直後は意識がそこまでハッキリしないため、術後の数時間(26日の夕方くらい)よりも深夜のほうが印象に残っている
深夜は右脇に刺さったドレインが痛い、激痛というほどではないが痛みがずっと続くせいで気持ち悪い
身体を動かそうとすると痛みが走る、楽な姿勢を探すが結局どれもだめだと分かって始めの姿勢に戻る、これを何遍も繰り返す
両ふくらはぎに圧をかける装置?が巻いてあるため満足に足を動かすのもかなわない、片方のふくらはぎに圧が掛かるタイミングでもう片方のふくらはぎを動かして、また次にもう片方も動かす、そうやって姿勢を変えて少しでも楽になろうと頑張る
回復室の灯りが最小限になって、この痛みでは朝まで眠れないと悟る


27日
人差し指に嵌めた脈の測定器?がキツくて、指先でほんのちょっと緩めると枕のうえのほうにあるモニタがオレンジ色に光って警告音みたく鳴ったりするのがすごくストレスだった
辛さを紛らわすべく何か考えようとするが、だいたいどれも気が散る
昔好きだった女の子が咥えてくれる想像を何度もした、その間なら気が紛れるし興奮で勃起した、頭を使わなくてもそれはごく自然に考えられた
だが勃起すると導尿カテーテルを抜いた影響でピリッとするような痛みが走って、オーウェルの「1984年」みたいに頭のなかまで制限されるのかという感じだった
尿を取らなければならなくて、尿意を催すとナースコールで看護師を呼び尿瓶を渡される
覚悟していたがこれが痛かった、ううっと声が漏れて首を反らすくらい痛い、終わりに尿を切るのがこわい、尿が溜まっていたせいで長い時間出るし
犀星の「われはうたえどもやぶれかぶれ」を思い出した、排尿の苦痛とはこういう感じかと思った
本来ならスッキリするはずの排尿に苦痛があると途端に生活が変わってしまう、とにかく尿に行きたくなかったし飲み物も飲みたくなかった
こんなに長い夜はない、時間の流れる速度がまるで違う、辛いのは半日程度だろうしそれならすぐに過ぎると術前は楽観していたが、とてもとても夜が長かった
全身麻酔のこと、急に記憶がなくなって人間が死ぬ瞬間はこういう風かと思った、思いながら回復室の暗がりを見つめていて、家族との記憶も仮に生まれ変わっても引き継がれないのかと思った
このときがもっともつらかった、身体を動かしたくても動かせないのがだめだった、ここ数日の寝不足もあって眼が痛む、ドレインの痛みで顔をしかめ、強くまぶたを閉じるとまつ毛が眼の中に入ってそれでさらに痛む、涙が止まらなくてそこに加えて脈の計測器?がうるさく響く、
朝方になると背中の麻酔の注射の針が気になり始めてどんどん痛くなってくる、背中がベッドに触れないよう姿勢を変えるが結局他に負担がいってだめ
これほど"動きたい"と思ったのははじめてだった、自由に動けることがとても素敵なことに思えた
それでも術前の絶食のためにお腹がすいていた、さわやかに行きたいと思った、普段母親に外食に誘われるのにいつも断るしどこか母親が行きたいところへ食べに行きたいと思った

朝ご飯がなによりの希望だった、絶食後にはじめて食べたのがリンゴ味のゼリーでこんなに美味しいのかと感動した、牛乳も味噌汁も美味しかった
痛みはあるもののだんだん楽になっていく、途中で眠っていた

お昼に起き上がって、移動する
その前にベッドのうえでレントゲンとか、いろいろこなす、
看護師のお姉さんに衣類を替えてもらう、靴下を替えてもらうさいに膝小僧がお姉さんの胸にあたってクラクラした

自分で歩けるようになってからは直ぐに楽になった、
午後に姉が見舞いに来ていろいろ話す、荷物の整理などをしてもらう、姉に話したいことがたくさんあった
でも笑うと少し脇のドレインの辺りが痛む
周りの患者には見舞いに来る家族がいて、そして私にも見舞いに来てくれる家族がいてホントに良かった、一人では生きられない


病室を移動してからの向かいのベッドにいるお爺さんが夜になるとまるでポケモンのようだった、イビキが人間のものではない
おなじ病室にいる人全員がそれに苦しんでいるようだったし、私の隣のベッドのオジサンは頻りに寝返りをうって、咳払いをして、うるさいと小声でつぶやいていた、
私は物音をたててはならないと思って、寝返りをうてなくなる
でもそのときは気持ちに余裕があったし、そのあとすぐに眠っていた(看護師の見回りなどで定期的に目が覚めたが)


そのあとはもう大丈夫、回復に向かっている、入院の日以来はじめて髪の毛を洗った(28日)、ドレインが抜けてからは痛みもほぼなくて違和感はあるものの正常に近い

 

帰ったらいろいろこなす